己の主観は自分にしか書けない。
主観は独自解だ。
内側の想念を外界に表出したもの。
独自の見解を文章表現したもの。
それが主観である。
逆に、客観は同一解だ。
統計データを用いて科学的に解釈し、偶発性をできるだけ排除したもの。
理論通りにやれば他者も再現できるもの。
最終的には皆が同じ解に行き着く。
それが客観である。
科学技術では、再現性の高さが大事だ。
それは信用性の高さに直結する。
再現できなければ信用を保証できない。
学問と実地検証を駆使して理論を構築し、再現性を実証できてこそ科学技術と言える。
誰がやっても同一解に辿り着く。
学びさえすれば誰もが再現できる。
それが科学技術だ。
客観的信用が最も重要視される。
逆に、創作藝術では独創性の高さが大事だ。
それは再現性の低さに繋がる。
自分と同じものを誰も再現できない。
自分だけにしか成し得ない。
それが独自性を生み出す。
創作藝術では主観的魔力が大切だ。
そこに在るだけで超引力が発生する不思議な作品。
生命が息吹き躍動する様態。
人の心髄を焚き躍らせる焔。
その魔力こそが創作藝術の生命線だ。
客観は事実が最上位次元を司り、主観は自分が最上位次元を司る。
客観は最終的に唯一解に至り、主観は最終的に独創解に至る。
事実情報は他者でも発信できる。既に無数に存在している。
だが、自分の見解は自ら発信しない限りどこにも存在しない。
資本主義では希少性と貴重性こそが価値である。
客観は事実が支配し、主観は自分が支配する。
客観は事実が絶対者であり、主観は自分が絶対者である。
客観は事実に基づく同一解。
主観は自分に基づく独自解。
絶対的な基準者を目指すには、主観の発信が必要だ。
私は主観を専行し、独自の思想で生きる。