理論は現象の後付けに過ぎない。

生き方

現象が先。理論は後。

理論は現象ありきで定義される。

理論は一度確立されると、それが絶対の論理として認識されがちだ。

その通りにやれば上手くいくと錯覚してしまうが、実際はそうならない。

現象と理論には差異が生じる。

現実世界では、我々が認識できていない影響因子が数多かつ複雑に絡み合っている。

地球は宇宙のごく一部であり、地球内の現象は全て宇宙現象に属する。

宇宙という絶対的存在に対して人間の知覚と測定機械は未熟で未発達だ。

また、人それぞれ体内環境と体外環境も異なる。

知性、感性、特性、経験、自由度が異なるのだ。

万物を真に正しく理解しようとすれば、現象の全要素を完璧に認識できる超知覚器官もしくはそれに代わる超測定機器が必須になる。

人間の全知全能化が不可欠である。

だが、それは永遠に訪れない。

全知全能の究極地点に到達したと断言する日を人類史に刻むことは出来ないのだ。

「人類が全知全能に達したという確証を得る」

それを実現するには、宇宙の全過去と全未来に立ち会い、超知覚と超知能を駆使して完全解明する必要がある。

しかし、「現象を完全に知覚し、完全に知能し、完全に理解し、完全に支配した」と誰が判断できるだろうか。

人間の知覚と知能の次元がそのまま理解度の限界値になる。

己を超越した存在を完全理解することは不可能なのだ。

よって、人の全知全能化が達成されたことを確証できるのは、真の全知全能者だけである。

だが、ここで矛盾が生じる。

その者が真の全知全能者だということをどうやって判断すればよいのか。

それを誰が確証できるのか。

人間には無理だ。自分を超える存在を理解することは不可能である。

未来の人工知能だろうか。

しかし、我々人間の能力域を超えた人工知能の判断に対しては主観による信用しかできない。

人より能力が高いとしても、全知全能の完璧さを有しているか否かは判断がつかない。

客観的確証は得られないのだ。

よって、人類史において全知全能の完全者は永遠に訪れない。

人は不知不能による主観選択を積み重ねていくしかない。

完全完璧なる客観選択など不可能なのだ。

「少なくとも既存よりは確からしい」

そういう判断しか出来ないでのある。

人間の世界観では宇宙が最上位次元だが、もしかするとそれより上位次元の世界が存在しているのかもしれない。

人類がそれを知覚する能力を有していないだけかもしれないのだ。

人は宇宙現象の隷属者であり、追随者である。

理論は、あくまで人間用に言語化した現象見解である。

現象を理解すべく実験を積み重ね、統計的に高精度な解として確立し、それを言語化して体系立てたもの。

それが理論だ。

理論は前提条件が確実である場合のみ通用する。

新しい現象が発生して前提が覆れば、その理論は通用しない。

理論は現象の後付けに過ぎない。

現象が先。理論は後。

客観は無理。主観で選択。

私は現象を先行して生きる。


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