数字よりも心髄を追う。
確かに数値化は便利だ。
物事を数字に落とし込めば定量化できるため比較検討しやすくなる。
だがそもそも「その数字がどれだけ本質を捉えているのか」を疑うべきだ。
特に人の心情を定量化するのは危険だ。
その人が何を思いどう感じているのか。
人間の感情は数値化しにくい。
それらは言葉で率直に語ってもらって初めて感知できるものだ。
もっと言えばその言葉の奥にある真意を読解することが肝心だ。
己の心髄を可視化するなら言葉の方が遥かに解像度が高い。
そもそも人間の心情は定量的ではなく定性的である。
人間は言葉使いだ。
何かに初めて触れて感情が揺れ動いた際、人はその想いを言葉で捉える。
「うわあ、凄いな!」と定性的に感じることはあっても「凄さ度10だな」と定量的に感じることはない。
言葉は思考と感情を司る思念物質だ。
数字も言葉の一部であるが、心情を明瞭生彩に表現するのには向かない。
「嬉しさ:5」「悲しさ:1」と表現されても無機質的で生命感が薄い。
あくまで表層的な概念としてしか把握できない。
それは感情の鮮度と濃度が大幅に失われているからだ。
心情表現に定量評価は不適である。
感情を新鮮生彩に伝えるなら言葉・画像・映像の方が遥かに適している。
それらの伝達手段は心情−身体−出力形態の直通度が高いからだ。
特に言葉は心髄との結び付きが強い。
言語の利点は人間の心情と常に共生共動していること。
自分の想いを言葉で解像描写すれば同じ言語圏なら明瞭生彩に伝えられる。
もちろん己の文章表現力に依存するが、同等の定量力と定性力を比較すれば心情把握には定性表現に軍配が上がる。
人間にとって言葉ほど心情把握に最適なものはない。
己の想念の文章化は自己推進力となる。
私はそう感じている。
もちろん己の心髄の全てを言葉で形容することは難しいが、少なくとも数字よりは圧倒的に表現しやすい。
他者の心情を推し量るにも数値に頼らず言葉で把握することが大切である。
数値化は定量的に比較検討できて便利だが、数字に執心して追い続けると人間の本質からかけ離れていく。
人間という動物は苦痛からの解放と新奇なる快適快楽を体験するために今を生きている。
人間活動の中枢は心髄である。
それと最も親和性が高い物質が言葉だ。
人を人たらしめている代物こそ言葉だ。
言葉による解像描写が意思疏通の根幹である。
数値は定量化が必須の場面で効果的に使用するに留め、極力定性化に専念する。
数字を追わずに言葉で掴む。
定量化ではなく定性化を重視する。
言葉表現が心髄を顕す。
私は文章藝術を練磨して心髄を究める。