藝術とは生動術。人間の心髄を焚き付ける焔光。言語表現は藝術である。

語学

藝術は生動術だ。

生命を息吹かせて無尽に躍動させる。己の思念を外界へ概念描出して呼吸を誕生させる。

その新生命を観た者は刹那に心を奪われ心臓を鷲掴みされて離れられない。

眼前に広がり尽くす幻想的な情景に体全体が潤い覆われて五感情報が水流の如く入り込んでくる。

現実世界から離脱して別世界へと粒子入射し、実体が再構築された後にその土地独特の風動を肌で実感する。

生命が呼吸し躍動する様を至近距離で生体験する。

それが藝術の心髄だ。

藝術とは生誕術であり躍動術である。

それは何物にも代えがたい至高価値と成り得る。

人は生命に興趣を惹かれて心奪われる。生命には気迫と鮮度があり、人間を引き寄せる咒力(じゅりょく)を有する。

藝術は生命感を宿す描出術だ。

人間活動の営為である言語表現も藝術の一種である。

体内で湧き起こった心情や映像を言語を駆使して概念描出し、そこに生気を纏わせる行為だ。

言語表現とは己の心髄の具現化である。己の想いを言葉の節々に息吹かせ、音声や文字を通して心髄伝播する。

人間は藝術に心奪われる。生命が呼吸し躍動する様を間近で五感体験することによって本能的に心髄が引き寄せられてしまう。

人は命の鼓動に感化される。逆に言えば、生命感が皆無で無味乾燥した記号や物体に対しては何の感情も巻き起こらない。生命と無生命には雲泥の差がある。

藝術の根底は心髄である。技術はその具現手段に過ぎない。

技術力が高いに越したことはないが、結局のところ藝術として具現化された作品の中核は心髄なのである。

心髄なき技術は中空だ。そこに生命は息吹かず躍動もしない。だから観る者の心は一切動かない。

それは心髄たる生動が欠如しているからであり、その出力物が呼吸していないからだ。

心髄あってこそ技術は揮われる。

藝術とは心髄が技術によって具現化されたものだ。

「藝術=心髄×技術」

心髄と技術は相互作用する。ついつい人間は技術に目を向けがちだが、技術は心髄の実現手段であり心髄こそが藝術の根幹である。

心髄が噴水となって想いを湧き起こし、技術が水流を成して想いを形作る。その水流群が織り成す新生命こそが藝術だ。

心髄は出発点、技術は途中工程、藝術は終着点である。

想念をどれほど噴出させて生命を息吹かせ躍動させるか。

それこそが藝術の生命線だ。私はそれを肝に命じたい。

2020年以降は「心の奪い合い」だ。

いかに他者の心が自然と自分に引き寄せられていくか。

一度体験したら二度と離れられないような中毒魔力がそこに宿るか。

それが心髄争奪戦の鍵となる。

要石となるのが藝術性だ。

どれほど生命が息吹き、どれほど無尽に躍動し、どれほど心が焚き狂うか。

強烈に気韻生動する五感体験を放出できるか。

それが藝術性を決定づける。

試行錯誤を多量実行して藝術力を錬成させていく。

それが2020年以降の人間活動の須要な営為となる。

私は我流かつ自己速度で言語表現を高進させる。

眼前に命を宿す。藝術はそこに尽きる。

私は言語藝術を練磨して生命を息吹く。