カタカナ用語は概念特定と解像描写が曖昧模糊になりがちだ。

語学

カタカナ表現は概念特定と解像描写が粗雑で曖昧模糊になりやすい。

例を挙げれば、「ビジネス」という用語がある。世界の経済行為全般を指し示す語彙だが、この4文字を一瞥した際にどんな概念が脳内想起されるだろうか。どれほどの具体性が表出されるだろうか。

私がこの用語を目にした際に瞬時に連想される映像は以下の通りだ。

社長同士の会談、事業主による自社商品の販売、広告宣伝を通じた消費者に対する購買促進、合併買収の議論会議、電子商取引市場、営業活動。

概念映像として多義的であるため特定性に欠ける。

勿論、経済行為を包括的に指して「ビジネス」という単語を用いているのであれば正当であるが、大抵の会話で頻出する「ビシネス」という台詞はそのような広義概念ではなく狭義の経済行動を指しているはずだ。

ビジネスという単語を細分化するなら事業・稼業・商業・投資・業務・職務・営業・開発・売買・取引・会談などがあてられる。

「コミュニケーション力」という用語も同様に包括的で漠然としている。

情報伝達、意思疏通、情調察知、人間交際、議論、説得、交渉、処世。

具体的にいずれを指しているのか不明である。

カタカナ用語は概念分別が曖昧模糊である。片仮名は音声文字であり表意文字ではないからだ。

それに加えて外来語である点も影響している。日本語圏と外国語圏では言語が異なる分、概念定義に差異があるからだ。

カタカナ用語は外国語が語源であることが多く、その語彙の元音声を片仮名という日本語音声体系で再現して形どることで成り立っている。

だが外国語から片仮名に変換すると、元言語特有の音感(発音・強調・抑揚・声調)や情調、概念描写が欠落して変性する。すなわち、元の語彙が有していた情報の質と量が欠如した上に変容してしまうのだ。

よって、片仮名語彙を目にした際もしくは耳にした際に、その語彙が有する概念の描写と意味が具体明瞭に脳内発念できないのは必然である。

それ故、発し手と受け手で認識の相違が多発する。カタカナ用語は概念の限定力と解像力が貧弱なため、靄がかった朦朧たる映像として相手に伝播する。そのため、発し手と受け手の間で概念を一義的に共有するのが困難となる。

仕事を依頼するにつけても、概念共有が有耶無耶なまま対話が進行すれば所望していた完成像とはかけ離れた様態の成果物が出来上がってしまう。

片仮名は擬音語・擬声語・外来語を表す役割を果たしているが根本的には音声文字であるため、概念を明瞭精細に描出し伝達することが要求される場面では不適だ。漢字用語よりも概念特定が粗雑になるため注意が必要である。

カタカナ用語の使用が強いられる場面では、外国語をそのままの綴りで表記した方が本来の概念意味を欠落・変性させずに伝達できる可能性が高い。

以上が、最近の語学活動を通じて感知した事柄だ。日本語圏から精神を越境させて英語圏・中国語圏に位置させ、英語と中国語に接触しながら日本語という言語を内と外の両面から観察して得た気付きである。

私自身も現在に至るまで片仮名表現を多様に使用してきたが、今後は漢字・平仮名を支柱として精緻生彩に概念描写する癖を付けたい。

擬音語・擬声語や致し方ない場合を除き、日本語圏では漢字・平仮名を基軸とした文章表現を用いることで言語咒力(じゅりょく)が発揮されると感ずる。

日本語圏ではぜひ日本語の持ち味を活かして形容したい。

私は日本語能力を高進させることで咒力を揮い高める。