我慢せずに欲求せよ。利己心は人間の生命力だ。

生き方

人間は報酬を得るために生きている。

物理的もしくは精神的報酬を欲しがって今を生存している。

報酬を得れば気分が高揚して心地良くなる。刺戟と充足が得られる。己が健在している実感が湧くのだ。

逆に報酬が得られない状態が長期化すれば気分は停滞して感情の起伏が乏しくなる。己の視界は色褪せて白黒と化し、現実世界に対する存命感が停滞するのだ。

人は快楽を得るために生存している。それは生物的本能である。

快楽が得られない状態が長期化すれば鬱屈が蓄積して体内容量が満杯となる。終いには外界へと放出してしまう。

それを引き起こす素因が「我慢」だ。

自分に我慢を強いれば強いるほど他者に対しても同じ度合いの我慢を強いるようになる。

「なぜ私はこんなに我慢しているのにあの人は我慢せずに済んでいるのか?」

そういう感情を抱くようになる。

己に課す我慢の度合いが高まれば高まるほどそれを上回る報酬を潜在的に欲するようになる。

その報酬が顕在化しない場合には自分に課している我慢の意味が揺動する。他者に対する不公平感が増強される。

自らが負ってきた我慢を他者に体感させることで己の苦痛を理解させたくなる。

その結果として自分に課している我慢と同等水準の我慢を他者に対しても無意識に強要するようになる。

それは自身の精神を安定させるためだ。個人の性格の問題ではない。それが人間という動物の実態なのだ。

だから自分に我慢を課すべきではない。

己の意欲を阻害する束縛・強制とは無縁の地点に自らを位置させる。常識の呪縛から自分自身を解放する。

自分を自由にすればするほど他人の自由を許容できるようになる。

自分に我慢を課せば課すほど他人の自由を許容できなくなる。

それが人間なのだ。

己を雁字搦めにせしめている金型に鉄槌を振り下ろして破壊する。

意欲と行動が促進する環境に身を置いて己の気質と特性を強みとして活かす。

他人から邪魔されない環境を選択することで無意味な関係を全て断ち切る。

他者ではなく自分を中心に置いて他者行程ではなく自己行程を生きる。

主作用として利己を求めれば副作用として利他が発生する。利他は副作用だからこそ健全なのだ。

利を受け取る他者にとって重くない。恩着せがましくない。束縛がない。

「あなたのため」という所為は相手を束縛して消耗させる有害行為だ。

人は常に利己である。たとえ利己的性質が見え隠れすることはあっても消失することはない。

人間は最初から最期まで利己動物だ。

物理的もしくは精神的報酬を常に欲して生きている。幸福感を味わうためにこの刹那を生存しているのだ。

利己を完全に没して利他だけで生きている人間は存在しない。

それは機械だ。人間ではない。

常に利己が最初にあり、利他は利己行動に付随して副次的に発生するものだ。

他者を助けたい、他者の役に立ちたい、他者に価値を提供したいという想いは紛れもなく利己である。

自分の行動が他者の利益になるかどうか以前に、自分自身が「そうしたい」という欲求を勝手に抱きそれを満足させるために実行しているに過ぎない。充足感が得られるからだ。

大切な存在と時間を共有できたり、社会的地位を得られたりするから一連の行動を取っているのだ。

根源的には全てが利己である。身勝手で自己中心的な欲求から人間活動の万事が始動している。

利他は只の付録である。大義名分でもなく高尚でもない。

全ては自分のためだ。自身がそうしたいからこそしているだけなのだ。

自分の欲求を満足させるのが心地良いからそういう行動を取っている。

ならばそれを自覚してより一層伸び伸びと自分のために生きる。己の欲求を満足させて充実感を得るために生きる。

他者からの口出しはほぼ無視に値する。邪魔以外の何物でもない。雑音は全て排除する。

人は他者の責任を取ることができない。

何故なら他者に成り代わって他者の人生を生きることはできないからだ。

自分の肉体から魂を離脱させて他者の肉体に入り込んでその人の人生を生きることは不可能だ。

今ここに存在している「自分」という魂は己の肉体にのみ宿る。

この魂はこの肉体が作り出している。

肉体と魂は一体化しているため切り離すことなどできない。

この身体が「私」という気質と特性を産出しているのだ。

私の人生は私にしか生きられないし、私にしか責任を取ることができない。他者が責任を取ることは一切ない。

だからこそ他者からの口出しは無責任で無価値で無用である。

他者からのアドバイスは99.9%が無意味だ。有用なのは残りの0.1%だけだ。

他者の発言は他者の思想に過ぎない。私の思想ではないし私の在り方ではない。

私という人間は私が思う通りに言動して初めて私という存在に意味を帯びる。

他者の奴隷になって生き続ける自分を想像してみると直感しやすい。「私」である須要がない。もはや人間である必要すらなく自動機械で十分である。

他者が他者にとって都合の良いように作り上げた常識や世間体や同調圧力に対して私が服従する意味はないのだ。

私は私なりに理想の在り方を追求して思い描いて実現する。

いつの間にか己を束縛していた黒鎖を切断することで発想領域を拡大させる。

我慢するな。欲求せよ。

我慢は不要悪だ。欲求は生命源だ。

利己心は人間の生命力である。

私は欲求を発揮して生きる。