「英語の母国語化を図る」
現在の私の目標だ。
英語を日本語よりも得意にする意識で生活して英語力を向上させる。英語と日常を一体化させて英語を我が物にする。
英語を自由自在に操る人間と化すには日常的に英語に慣れ親しむ必要がある。
英語を発言・受言している時間で一日の大半を占めることが不可欠だ。
究極的には生活行動の全てを英語思考で行うことが理想である。
私たちの母国語は日本語だ。
長い年月を経て日本語は私たちの体内で自己物質化した。
それは生活行動の全てを日本語思考で行ってきたからだ。
同様に英語を自己物質化するには生活行動の全てを英語で行う必要がある。
英語が体内で自己物質化するまで日本語思考を捨て去る。英語思考で生活することが最優先事項だ。
「英語を完全に我が物にする」
そういう想いがない限り、英語はいつまで経っても不自由なままだ。自分自身と一体化しない。
英語が己の体内で神経伝達物質と化して初めて英語自在者の域に達する。
何かを我が物にしようとするとき、最も大事なことは根源的欲求である。
己の心髄で「●●を自己物質化したい」という強い想いが発現すれば、それに即した理想像が思い浮かんでくる。
そこに行き着くために必要な意識は自ずと連想される。
その夢想引力に引っ張られて自分の気質に合った行動が湧き出てくる。
その結果、義務的努力ではなく自発的活動に昇華するのだ。
未だ手にしたことのない能力を体得するには膨大な時間の投資が必要だ。日常生活との一体化は必要不可欠である。
その際に義務的努力では長続きしない。心理的な行動障壁が高いからだ。疲れやすくて日常化しにくい。
だが自発的活動なら長続きする。心理的な行動障壁が低いからだ。疲れにくくて日常化しやすい。
自発的活動は私の体にとって自然であり健全であり日常そのものである。
私にとって語学は自発的活動だ。
努力が必要となる要素は極力避けて精神負荷の低い活動形態で取り組むよう意識している。
最近では英語版ゲームを楽しみながらプレイしている。
語学は物語体験と相性が抜群だ。
義務感覚を取っ払って趣味感覚で謳歌できる。能力向上には大事な心髄である。
英語は日常生活と一体化する代物だ。
英語思考で生活することを趣味にする。英語を自分の日常生活に浸透させる。
長い年月を経て私の生活全てが英語思考で行われるようになったとき、私は晴れて英語自在者となっているだろう。
そこには広大な景色が澄み渡っているはずだ。
それを夢想して楽しみながら英語で日常生活を送ろう。
私は英語日常者となる。