己の在り方の独裁者であれ。

思想

どんな在り方で生きていくのか。

それを決めるのは自分自身だ。

私が「私」として存在する意味。

機械ではなく人間として存在する意味。

それは自己決定力にある。己の在り方を自分で決定することにある。

逆を考えてみると分かりやすい。

私が己の在り方に対して他者の言う通りに従うだけなら「私」という独立概念が今ここに存在する意味はない。

他者の命令通りに動く機械として存在するに等しい。私の身体を模したロボットがそこにあるだけでいい。

では私の身体の中に「私」という心髄が宿る意味とは何なのか?

そこに自己感性が存在する意味とは何なのか?

それは自分に関する全事象を自分で決定することにある。

そこで初めて私の身体に内在する「私」という自己意識が活きるのである。

現実世界を生きていると数多くの他者が自分に干渉してくる。支配してくる。

皆良かれと思って様々な口出しを勝手にしてくる。

だがその全ては受け流すに値する。

自分が意欲を感じない事象を強制してくる他者の言葉ほど有害なものはない。全て無視である。

自分の感性の声を絶やしてはならない。

何か違和感を抱いたのならそれは間違いなく自分にとって正しい。

自己感性は人間性を構成する中核だ。

唯一無二の個性であり独自性である。

感性が人間性を作る。

自己感性を放棄して他者の言う通りに生きるということは人間として生きることをやめるということだ。

他人の命令通りに動くようプログラムされた機械と化すということだ。

人間として生きるということは自己感性の声を大切にして生きるということだ。

他者の言う通りに生きるなら他者と似たようなことしか起こらない。

二番煎じどころかn番煎じであるため只の劣化版に成り下がるだけである。

先人たちが既に築き上げた通路をそのまま後ろからなぞっているに過ぎない。新しいことは起こらない。

他者の口出しを無視して自分の感性の赴くままに行動し続ければ新しい事象に遭遇する。偶発性が生じるのだ。

感性とは究極のオリジナルである。

他者や環境を通じて刺激を受けながら変化していくものだが、それらは全て自己フィルタを通して取り込まれていく。

感性は単一要素から成り立っているものではない。多数の要素群が複雑に絡み合って融合した内核である。

他者と全く同一の感性は存在しない。ある部分で合致することはあっても全体としては様相が違う、

自己感性とは唯一無二の個性である。

それを放棄するということは独自性を捨てるということだ。才能を捨てるということだ。それはあまりに勿体ない。

だから私は己の個性を捨てずに活かす。自己感性の声を大事にして生きる。

自己対話を通して己の在り方を模索する。自ら決断しながら独自の在り方を作っていく。

己の在り方は自分で新しく定義する。

他者の声は無用だ。全て排除する。自分の声だけでいい。

己の在り方の独裁者であれ。

私は独裁して生きる。