時間はお金よりも圧倒的に価値が高い。
人間にとって時間とは寿命だ。
消費物だ。
我々は限られた命を消費して生きている。
「時間=命=生」
お金を節約することが目的で苦痛を我慢し続ける人生は幸せではない。
一時的な我慢が必要な時期は人間誰しも存在し得る。
だが永遠に辛苦に耐え続けるのはあまりに厳しい。
周りの人間が我慢しているのだから自分も我慢しなければならないという強制意識。
それが自分の中に存在しているとしたらそれは不要悪だ。
我慢は美徳ではない。
自分の中で何か強い我慢を強いられているならその感情は無視してはならない。
本来その負の感情は解き放たれるべきものだ。
お金はその我慢を解消するために使うアイテムだ。
快適な時間や新しい体験をするために使うアイテムだ。
お金はただ所有しているだけでは意味がない。
自分の欲求に基づいて使ってこそ活きる。
そこで初めて意味を持つ。
新しい体験が生まれる。
快適な時間が得られる。
モチベーションが生まれる。
「時間・体験>>お金」
ふと挑戦してみたいと思った未知の体験をするためにお金を使えば自分が今まで予想もつかなかったような景色が見え始める。
己の精神世界の国境が波動のように広がる。
見える景色が変わる。
景色の明瞭度が変わる。
新しい欲求が生まれる。
新しい体験がしたくなる。
自分の興味・関心の赴くままに行動して突き進む。
自分の世界観に奥行きが生まれる。
少なくとも以前のものとは変化する。
それでいい。
お金を使わずにずっと貯金したままでいるということ。
それは得られたはずの新しい体験や快適な時間をみすみす逃しているということだ。
勿体ない。
ただの情報や知識だけでは血は通わない。
活きていない。
中空的なものに過ぎない。
最も密度の濃い中核が抜け落ちている。
自分自身の五感を使った新体験こそが己の世界観を変える。
新たな感性が養われる。
新しい価値観と哲学が生まれる。
目まぐるしい変化が巻き起こる現代では技術だけでなく感性の進化も必要だ。
我慢せずに思い切って自分のやりたいことを実行し続ける限り感性の成長は止まらない。
感性力はあらゆる場面を通して養われていく。
技術は感性によって方向と深度が作られる。
感性の成長なくして技術の成長はない。
新たな体験なくして感性の成長はない。
お金は自分がやってみたい新たな体験のために惜しみなく使う。
興味のないならあえてやる必要はない。
だが興味の湧いたものに対しては最速で体験すべきだ。
お金は最速で体験するために使う。
我慢時間を一気に省く。
そこにはこれまで体感したことのなかった世界観が待っているかもしれない。
その可能性に期待し賭け続ける。
だからこそ新たな感性が養われる。
私の場合、フォートナイト用にゲーミングPCを買ったのも新しい試みだった。
それまでPS4とコントローラでプレイしていたが操作が不便で不快だった。
特にエイムの難しさをひしひしと感じていた。
結構長い間我慢していた。
「この我慢や不便さはそもそも不要なものだ」
ある日思い切ってゲーミングPCを購入してマウス・キーボードに移行した。
240Hzのモニターも同時購入した。
フレームレートは4倍に高まった。
その結果、操作性は一新した。
圧倒的にエイムはしやすくなった。
没入感がまるで変わった。
コントローラではキャラクターをスティックで遠隔操作している感じが否めなかった。
それに対してマウス・キーボードではキャラクターとの一体感が得られる。
これは実際に購入して体験した人にしか分からない感覚だと思う。
PC移行後は価値観が変わった。
エイムを必要とするゲームではマウス・キーボード操作しかあり得ないと思うようになった。
コントローラでエイムに苦労するのは100パーセント時間の無駄だったと確信している。
2Dゲームのスーパーマリオワールドですらキーボードで操作する方が好ましいと感じる。
回線環境を整えたことも新しい体験だった。
私はNTTフレッツ光の10Mbpsプランを利用していた。
速度が遅い上に東京サーバーに対してPingが高かった。
新ゲームのダウンロードや動画のアップロードには無駄に時間を食う。
オンラインシューターゲームでは回線ラグをひどくて快適にプレイできず不満だった。
思い切ってauひかり1Gbpsプランを申し込んで回線工事を行った。
その結果回線速度は20倍以上速くなった。
Pingは東京サーバーに対して1桁台が平均となった。
新ゲームのダウンロードや動画のアップロードもサクサク進む。
オンラインシューターゲームでは回線ラグを感じなくなった。
今まで我慢していた時間がいかに無駄だったかを痛感した。
こんなにも快適でこんなにも違うものなのか。
そう感じるほどだった。
時間はお金よりも圧倒的に価値が高い。
お金は生活を支える大事なものだ。
だが時間は人間の命そのものだ。
時間とは寿命である。
自分自身にとって活き活きとした時間を生き続けること。
それが幸せな人生を送るということだ。
お金は活きた時間を得るためのアイテムだ。
お金で時間を買う。
その時間で新しい体験や快適な時間を得る。
新たな感性を養う。
その感性が自分の技術を成長させる。
新しい何かが生まれる。
そうやって自分の感性を養い続けながる。
活きた時間を生きる。
幸せな人生を過ごす。
私は活きた時間を生きたい。