自分にとって興味深い新体験に挑戦してみる。
すると見える景色はガラリと変わる。
それまで抱いていた価値観とはズレる。
良い事だ。
価値観は新しい試みによって上書きされていく。
それが人生だ。
昨日の自分と今日の自分では見えている景色が違う。
だから価値観も違う。
その時点ではその変化が自分にとって良いのか悪いのかは分からない。
だが変化していかなければそこで成長は止まってしまう。
新しい試行をしなければ新しい何かを得ることはできない。
私の最近の趣味体験を振り返ってみると新しい試行と共に価値観も刻々と変化してきた
最初は語学目的でNetflixを英語音声で鑑賞するのが好きだった。
だが途中から主観的な英語体験がしたくなってPS4北米版ソフトをプレイし始めた。
Life is Strange、Beyond: Two Soul、Detroit: Become Human、Resident Evil 7、Outlast、Tales of Berseria、Tales of Zestiria、MHW、Persona 5, Dragon Quest 11をプレイした。
その経緯でFortnite: Save The World(フォートナイト 世界を救え)に出会った。
ゾンビ襲来に対して建築を主軸とした基地防衛目的のオンラインRPGというのは私にとって新鮮な体験だった。
ゲーム性に魅力を感じた。
ある日フォートナイトのバトルロイヤルモードが海外で流行っていることに気付く。
早速プレイを開始してみた。
訳も分からず戦場を適当に歩いているだけで敵にキルされてしまう。
最初はその繰り返しだった。
次第にゲーム操作に慣れ始める。
遂に敵の隙を突いてキルすることに成功した。
しばらく経つと初めてビクトリーロイヤルを経験した。
そこからはビクロイ第1主義の立ち回りを学び始める。
不定期ながらもビクロイが獲れるようになってくる。
すると今度は勝率を最重要視した立ち回りを目指すようになる。
「出来るだけ戦場での交戦を避けて最後に残った敵のみを倒す」
その立ち回りでビクロイが次第に蓄積していく。
だが途中で自身のキル能力が全く向上していない事実に気付く。
今度は勝率やビクロイを一切気にせずに積極的に交戦することを目標に掲げてプレイし始める。
この時期からフレンドとのデュオやスクアッドを完全に断った。
ソロプレイに注力し始めた。
戦場のあらゆる武器を使って敵をキルすることを目標にソロに励む。
だんだん敵をキルできるようになった。
しかし、あくまで簡単安易な強すぎる武器・アイテムに頼ったキルがほとんど。
自身の技術力は低いことに気付く。
特に建築・編集・エイムの技術力があまりに低い。
クリエイティブマップで建築・編集・エイムを練習し始める。
次第に上達してくると近接戦闘の楽しさ・難しさ・奥深さを実感する。
近接戦闘力を重要視し始める。
実戦でプレイしていると未だ簡単・安易で強いアイテムに頼ってしまっている感が拭えない。
シーズン10終盤になってゾーンウォーズのパブリックマッチが実装された。
初期装備として武器と資材が用意されるという利点を生かしてSG(ショットガン)とAR(アサルトライフル)のみでプレイし始める。
完全キルムーブで積極的に近接戦闘を仕掛けていくプレイスタイルを敢行する。
それに伴って建築・編集・エイムという本質的技術が向上してくる。
最近はSG1丁のみでの近接戦闘で敵をキルすることに挑戦している。
新しい試みは新しい気付きと価値観を生み出す。
自分がやりたいと思ったことを出来るだけ最速で実行する。
新たな気付き・糧を得てまた次に進む。
それをひたすら繰り返していく。
己の感性に身を委ねる。
さすれば当初は予測もつかなかったような景色に辿り着く。
綿密な計画や完璧な戦略など必要ない。
行動を遅らせる要因になる。
直感と夢想の赴くままに行動し続けていく。
今この瞬間に集中して活動する。
自分自身の時間を生きる。
それが私にとって最も幸せな人生の生き方だ。
新体験をし続けていこう。