組織で働いているとだんだん組織のために働くようになる。
その固定通念に洗脳されていく。
自分のためではなくなる。
所属する組織のためになる。
市場感覚から離れていく。
消費者の感覚を忘れてしまう。
個人の感覚が希薄になる。
当事者から離れていく。
本来は私自身が市場の一部だ。
本人が頑張ったかどうかなんて市場にとっては全く関係ない。
相手が必要だと感じれば価値が見出される。
不必要だと感じれば価値は見出されない。
そんなことは私に制御できない。
そもそも制御してはならないものだ。
報酬は需要があるかどうかで決まる。
需要があれば報酬は発生するし需要がなければ報酬は発生しない。
需要は私にコントロールできない。
私に出来るのは自分の感性に沿った活動を続けていくことだけ。
それに対して需要があれば報酬が発生する。需要がなければ発生しない。
ただそれだけ。
先を見通した戦略など不要だ。
そもそもこれは戦いではない。
誰かと争っているわけではない。
自分自身の活動だ。
感性の趣くままに行動していきたい。
自分の好きなことをしよう。
楽しいことをしよう。
面白いことをしよう。
自分の思考・感情・行動・気付きを可視化する。
人の目の触れる場所にそっと置いておくだけでいい。
それがいつか他者の役に立つ時が来るかもしれない。
そのとき初めて私は生産者の側面を持つことになる。
それが最も自然な在り方だ。
最も心地良い在り方だ。
何より自分自身が好きでやっている活動だから。
自分自身のためにやる。
決して他者のためではない。
たとえ逆風が吹いたとしても自分の感性を信じよう。
他者の言うことにただ付き従うだけなら「私」である必要はないのだ。
従うだけなら代わりはいくらでも存在する。
将来的には 人工知能ロボットがしてくれる。
「私が私である」ということは「自分自身の感性を信じて生きる」ということだ。
「私が今一番やりたいことを試行し続けていく」ということだ。
それが私が市場に存在する意味だ。
私は自分自身のために活動する。
活動で得た気付きをここで可視化する。
ただそれだけでいい。