違和感を大切にする。
違和感って大切だと思う。
「なんか違う」「自分には合わない」と感じるなら間違いなくそうなのだ。
それは正しい。
そしてチャンスだ。
自分の本音の表出だ。
自分の感性の種子だ。
その種から新たな価値が生まれるかもしれない。
いつかは果実になるかもしれない。
己の感性の赴くままに進んでみよう。
感性の種を育ててみよう。
自己流で生きる。
自己流が一番だ。
他人の教えが自分に合うとは限らない。
むしろ合わないことの方が圧倒的に多い。
他人の教えはあくまで他人の思想。
自分の思想ではない。
いつも自分の思想を持ち続ける。
自分の価値観を作りながら生きていく。
心の声を大切にしよう。
本音をどんどん汲み取っていこう。
他人の思想は自分の思想の糧にする。
私は自分の感性に基づいて生きていく。
己の感性に身を任せて試し続けていく。
活動をしていると違和感を感じることが多々ある。
「果たしてこのやり方でいいのだろうか」
「あっちのやり方の方がうまくいくんじゃないか」
「なんか自分がやりたいこととズレてる気がする」
そんな疑念が浮かんでくる。
どうすればいいかよく分からなくなる。
ここで一旦立ち止まってみる。
これらの疑問はどこから生まれてくるのだろうか?
自分の方向性が見えないときだ。
「自分の感性」と「他人の教え」が適合しないときだ。
ついつい「どれが正しいか?」を考えてしまう。
だが「正しい」って曖昧だ。
誰を基準にするかで正しさは変わる。
正しさは相対比較だ。
比較対象があって比較基準があって初めて「正しさ」が生まれる。
正しさに絶対はない。
絶対的正義など存在しない。
常に正義は変化し続ける。
時代の流れと共に。
活動をするときは自分の感性を最重要視すればいい。
他人の教えはその人の感性に基づいて生まれてきたもの。
それは他人の思想そのものだ。
自分の活動では自分の思想を大切にする。
自分の感性を大切にする。
自分の心髄に基づいて我が道を歩んでいく。
他人の教えはあくまで材料だ。
納得するならそれを用いればよい。
違和感を抱いているのなら自分の感性が「それは合わない」と自分自身に告げている。
その声を聴こう。
本音を聴こう。
試してみることに失敗はない。
「仕事は楽しいかね?」より
自己流でいいのだ。
違和感は己の感性のサインだ。
私は違和感を大切にして自己流で生きる。
己の感性を信じて試し続けていく。
感性は私の存在そのものを表しているのだから。