あなたの言葉は必ず誰かを傷つけている。

生き方

発言とは矛だ。

それは己の価値観や意向を言葉で表現するということ。

そこには方向性が存在する。

自分と同じ方向性の人間の言葉には共感できたり勇気が貰えたりする。

自分と違う方向性の人間の言葉には何も響いてこなかったり良い意味でも悪い意味でも刺激になったりする。

特にその方向性の矛先が自分を刺していると感じた場合は傷付くこともある。

発言する、ひいては己の意思を表明するということは方向性を明確にするということだ。

方向性の矛先を可視化することで鼓舞される他者もいれば逆に刺されて負傷する他者もいる。

意思発言には必ず犠牲が付き纏う。

意図を明確にすればするほどその言葉がもたらす波動エネルギーは強大になる。その分だけ受言側は良い意味でも悪い意味でも心が揺さぶられる。

意思表明とは何かを選ぶということ。

その何かを選んでいる間はそれ以外のものを捨てなければならない。でなければ選んだことにはならない。己の意思を明瞭化したことにはならない。

意思には方向性がある。

方向性があるということはその方向以外の範囲を意識から捨てるということだ。眼中から消し去るということだ。

言葉が紡ぎ出す矛先が一点を向いて鋭利に尖れば尖るほど、プラスとマイナスの両方の性質で刺さりやすくなる。自分と他者の両方に対して貫きやすくなる。

発言するとは犠牲を払うことを受け入れるということだ。

自分の意思を明確に表現すれば必ず傷付く人が出てくる。何故ならその紡ぎ出された言葉に対して抱く心情概念は人それぞれ違うからだ。

それはこれまで味わってきた人生が異なるからに他ならない。

体内環境・体外環境・人間関係・知識・経験・技術・感性。

どれも全て違う。

仮に誰も傷付けないように発言しようとするならば世界の全生物に合わせて言葉を選び抜く必要がある。

だがそんな万能な言葉は存在しない。万人を傷付けない言葉は結局誰にも響かない。影響力は皆無だ。

誰も傷付けたくないのであればずっと沈黙し続けることが最適解となる。だがそれは存在していないのと一緒だ。

人間は言葉使いだ。

言葉は人間の外部にある道具ではない。人間の身体に内在する概念物質である。

言葉は人間を人間たらしめる意思疎通源である。自己対話でも他者対話でも必要不可欠な思考感情物質だ。

人間は言葉に引っ張られて生きている。

言葉を発すれば自分と他者がその言葉に無意識に影響される。

人の思考・行動・習慣・人生・関係・社会・世界は言葉によって作られている。

人間と言葉は一体化している。

言葉を一切使用せずに生活しようとすればあらゆる行動の解像度が落ちる。人間的生活の質と量が格段に落ちる。

人は発言しながら生きている。それと同時に受言しながら生きている。

言葉を発することで自分と他者に影響を与えている。

誰かを鼓舞していると同時に誰かを傷付けている。

だから私はそれを前提として生きる。

この日記も同様だ。

私は全て自分に向けて発言している。

それはこの世界の何処かに必ず存在している「私と同じ存在の誰か」に向けて発言していることに等しい。

私はそこに意識の全てを集中して書いている。それ以外の生命体に関しては眼中に入っていない。

私の言葉で傷付く人がいるだろう。知らず知らずのうちに誰かに不快な思いをさせたり心の傷を抉ってしまっていることだろう。

それは必然であり不可避である。

逆に私自身も他者の発言を聞いて不快な思いをしたり心の傷を抉られる場面に遭遇する機会は枚挙にいとまがない。

発言するとはそういうことである。選ぶと同時に捨てることである。

表現には犠牲が伴う。

犠牲が伴わない発言は方向性が存在しない。結局それは何も発言していないことに等しい。

大事なのは「自分は必ず誰かを傷付けている」という自覚を持つこと。その自覚を持った上で自分の思ったことを率直に発言し続けること。

意図しない人々にマイナスの影響を与えたとしても、意図した特定の誰かにそれ以上のプラスの影響を与えることができればいい。

その心髄を持って私は発信し続ける。

自分が思うままに感じるままに発言し続ける。

私は己の感性を発言して生きる。