自分の行動はコントロールできても体調はコントロールできない。

生き方

体調はコントロールできない。

体調が悪いときは無理しなくていい。

休んだ方がいい。

休みは自分の体に対する投資だ。

体調は最も身近で要石な環境だ。

食事・運動・睡眠は管理できても体調は管理できない。

行動は制御できても体調は制御できないのだ。

私たちができるのは「行動選択」だけ。

私たちにできるのは行動選択だ。

体調管理ではない。

体調は管理できない。

もしそれが出来るなら神の領域だ。

もう人ではない。

私たちはコントロールできないものをコントロールしようとしてしまう。

そして悩み苦しむのだ。

体調は最も身近で最も重要な「環境」だ

体調は最も身近で最も重要な環境だ。

外界だけが環境ではない。

体調も環境だ。

内界の環境だ。

むしろ内界の環境の方が大切だ。

いくら外界の環境が良くても自分の体が不調ならそれは苦しい。

内界の環境が悪ければ私たちは何もできない。

だから自分の体をもっと大切に想おう。

休みは心と体に対する投資だ

休みは心と体に対する投資だ。

今休んでいる時間は私に必要なものだ。

何も考えずにぼーっと休んでいても内蔵は休みなく動いている。

平穏に休んでいるときストレスは緩和される。

それは体にとって良いことだ。

体調を整えるのを助けてくれる。

だが世間では休むことは悪とされがちだ。

休むことはサボることだとみなされがちだ。

仕事優先で体調管理の徹底を求められる。

「体調管理をしっかりしろ」

「体調が悪いのは全て自己責任だ」

「お前はだらしないからそうなるんだ」

果たして本当にそうなのか?

いいや違う。

「体調管理」は、私たちのコントロールできる領域を遥かに超えている

現在進行形の「行動選択」なら確かにできる。

でも「体調管理」は私たちには絶対できない。

「体調を管理すること」は私たちが制御できる領域を遥かに超えている。

人間の体はブラックボックスだ。

医学が進歩しているといっても完全なる解明は未来永劫訪れないだろう。

私たちは発見・解明するたびに無知の知を得るのだ。

それなのに社会では体調管理はできて当然だとみなされる。

なぜこういう言葉が出てきたのかを考えてみる。

「常に成果が厳しく求められるから」だろう。

会社的には確かにそれは正義だ。

成果なくして会社は売上が発生しない。

売上が発生しなければ倒産する。

成果を出すためには優秀な人材が必要だ。

会社にとって優秀な人材とは常に成果を出し続ける人間だ。

そのために体調は常に良好でなければならない。

だがあくまでもそれは理想である。

現実はそうならない。

なぜなら体調は管理できないから。

コントロールできるのは「現在の己の行動」だけ。

私たちは社会を生きる中でいつの間にか自らを神にしようとしている。

人間の領域を越えようとしている。

良い意味で超えるのならいいが悪い意味で越えようとしていることが多い。

体調を管理することもその1つだ。

私たちがコントロールできる領域を遥かに超えている。

だが管理できて当然とみなされる。

コントロールできないものをコントロールしようとするとき私たちは激しく消耗する。

出来ない自分を自覚すると劣等感や無力感、情けなさを感じてしまう。

自分は出来ているのに他人が出来ていないと努力が足りないだけだとみなす。

ただの甘えだと捉えてしまう。

これは間違いだ。

そもそも体調管理などできなくて当たり前だ。

現在体調を良好に保てているとしたらそれは偶然上手くいってるだけだ。

体調管理できている人間などこの世に存在しない。

私たちに操作できると思うこと自体勘違いなのだ。

私たちは現在進行形で自分なりに最善の行動選択をしているに過ぎない。

どれが正しいかどうかなんて本当のところは一生分からない。

私たちにできるのは「どれを選ぶか」だけだ。

「どれが正しいか」は常に闇の中だ。

「選択」と「行動」に専念する。「管理」はできないのだから。

管理という言葉は私たちを勘違いさせる。

選択という言葉の方がしっくりくる。

これからは選択という言葉を使っていこう。

管理という言葉を捨てよう。

現在の自分の行動にだけ集中しよう。

体調はコントロールできないのだから。