その悩みは「私」が制御できる代物なのか。

生き方

その悩みってそもそも「私」が制御できる事象なのか。

自分が他者からどう思われているか。

私たちはその悩みに直面する。

馬鹿にされたくない。

侮蔑されたくない。

嘲笑されたくない。

否定されたくない。

私も心の底でそう思い悩んできた。

だが一旦立ち止まって考えてみたい。

「その悩み」って私が制御できる代物だろうか。

それは「私の課題」なのか。「他者の課題」なのか。

その悩みが自分に制御できるか否かを考える上で「それは誰の課題なのか」を考える必要がある。

我々は「これは誰の課題なのか?」という視点から自分の課題と他者の課題を分離していく必要があるのです。



およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと ーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることー によって引き起こります。



課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

「嫌われる勇気」より

「自分の課題」と「他者の課題」を切り分けて考える。

それは「自分に制御できる問題」と「自分に制御できない問題」を分けて考えるということ。

自分に制御できない問題はそもそも考えなくてよいのだ。

他者の感情を「私」が制御することはできない。

冷静に考えてみると「他者が自分をどう思うか」なんて私に制御できない。

にもかかわらず「なんとかしなければ・・・」と思い込んでしまっている。

本来自分に制御できない問題なのに「なんとかしなきゃ」と勘違いするから思い悩んで苦しみ喘ぐ。

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」 それだけです。



一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。



これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話なのです。

「嫌われる勇気」より

私は「他者が下す評価は制御できない」という事実に気づく必要があった。

「他者が私をどう思うか」なんて制御しようがない。そもそも制御してはならない。

他者を制御しようとすること。

それは「自分の思い通りに人間を操作しようとすること」だ。そこに敬意は存在しない。

課題を分離するという考え方は他者に対する敬意であり、自分に対する敬意でもある。

私はもっと楽に生きられる。

その気づきを得るだけで今見ている世界が少し変わる。もっと楽に生きられる気がする。

私が制御できる事象はほとんどない。ほぼ全てのものは私に制御できない。

私が制御できるのは自分自身のことだけ。現在進行形の己の思考と行動だけ。

「いま、ここ」の私だけ。

たったそれだけだ。

私の好きなことは何だろう。

私が楽しいと感じることは何だろう。

私がやってみたいことは何だろう。

私が手に入れたいもの何だろう。

私は試してみたいことは何だろう。

私はどんなふうになりたいのだろう。

考えるべきことはそれだけなのだ。

自分の欲求に沿って生きることだけだ。

「それは私の課題なのか」

「それとも他者の課題なのか」

日頃から自分にそう問いかけることで毎回直面した課題を切り分ける。

あとは自分の課題に集中するのみだ。